「これが今回の件のあらすじ。そしてこれが結果。」
中央から少し西へ離れたこの街に、この兄弟が宿をとってから2日。
3日目の今日もまた連日と同じように図書館へ繰り出そうと部屋をでて、
宿の階段を下りた先に、彼女はいた。
滅多に見ない私服姿でいるところをみると、休暇を利用してここへ来たようだ。
よく知った顔の思いがけない登場に、
弟の方は喜びの声をあげ、
兄の方はただ一言挨拶を交わしただけだった。
彼女はお茶にしない?と兄弟を宿から連れ出し、
目に入った最初の店に入った。
彼女は兄弟を店の一番奥の窓際の席に連れていき、
好きなものを食べて、とメニューを兄弟に差し出した。
弟の方は飲食でいない身体だというのはわかっているはずなのに、
それでも兄弟を同じように扱うあたりに、彼女の優しさがあった。
彼女の頼んだレモンティーと、兄の頼んだパンケーキが出され、
さて、と一呼吸置いて話し始めたのが、これだった。
「これが今回の件のあらすじ。そして結果。」
最後にそう言うと、彼女は今日の新聞を兄弟に見せた。
そこにはハウゼン少将殺人未遂事件に関与か、と大きな見出しであった。
内容を軽く読むと、数年前にある記者の妻が何者かに襲われ大怪我を負った。
刃物で腹部を刺され倒れている彼女を夫である記者が自宅で発見し、
迅速な対応と治療で被害者の命に別状はなかった。
犯人、犯行動機も不明のままであったが、
心当たりはない、の一点張りだった被害者の夫である記者が今になって真相を明かした。
当時彼はあるスキャンダルを目撃し、その記事を新聞に取り上げようとした。
それに気付いた犯人は、口外すれば妻の命はない、と脅しをかけ、
実際に彼の妻に大怪我を負わせ警告した。
記者は身の安全の為犯人の要求をのんでいたが、
悪を正す為に今、情報を提供してくれたのである。
そしてそのスキャンダルを報道されかかりこのような行動を起こしたのが、
ハウゼン少将だということになる。
ハウゼン少将は自分の出世と自分のミスの擁護・隠蔽の為に、
多額の賄賂を様々な人物におくっていた。
ある贈賄現場をこの記者に撮られたのが原因なのだが、
ハウゼン少将は全面否定している。
「探してみたら、すごいものを見つけちゃったのよ。」
彼女は優雅にレモンを絞ると、
さわやかな香りを楽しみながら、
その口元に笑みを浮かべた。
探し当てたのは彼女たちだが、
実際動いているのは周りの人間だ。
きっとハウゼンは誰の仕業かまだわかっていないだろう。
娘の恋人が助けてくれるかと思いきや、
ハウゼンに舞い落ちる火の粉から逃げるように去っていったと、
全て仕組まれていたにも関わらず、ハウゼンはそう思っているだろう。
「それで?」
話の間一言も口をはさまなかった少年が、
しばらくの沈黙の後そう一言言った。
その声には少しいらだちが紛れ、
自分にどうしろと?
という疑問が含まれていた。
その少し尖った言葉を彼女は笑顔で受け止め、
ところで、童話は読んだかしら?
と優しい質問で返してきた。
弟の方が、いいえ、と答えると、
「それじゃあ、一つお話をしてあげるわ。」
そっとレモンの香るカップをソーサーに置いて、
一度窓の外を眺めてから話し始めた。
昔々あるところに、大きなお屋敷がありました。
そこにはいろいろな人が住んでいて、
今門を開けて入ってきた男もまた、ここの住人でした。
男は自分の部屋に戻ると、
手に大事に持っていた綺麗な小鳥を鳥かごのなかに入れました。
鳥かごの扉の鍵をきっちりと閉めて、
男はずっと小鳥を眺めていました。
小鳥もまた男になついたようで、
綺麗な声で歌ってくれました。
男は毎日自分の部屋に帰るのが楽しみで、
小鳥もまた男が帰ってくるのを楽しみにしていました。
しかしそんな毎日に、ある問題が現れました。
この屋敷の誰かが飼っている猫が小鳥を狙うようになったのです。
ドアに鍵をかけておいても、男が帰ると鳥かごの下に猫がいるのです。
猫には届かない高さにある鳥かごですから、小鳥は安全なのですが、
万が一のことを考えると男は心配でなりません。
そもそも、こんな危険が目の前にある毎日に、
小鳥が安心して暮らせるはずがありません。
そう思った男は鳥かごの扉の鍵を開け、
小鳥を窓から飛び立たせました。
どんどん遠く小さくなっていく小鳥を見ながら、
死んでしまうよりも、
二度と会えなくてもいいから幸せに生きていてほしい、
そう男は呟きました。
なんとか猫を退治した男でしたが、
一向に小鳥を迎えに行こうとする気配がありません。
男と小鳥を知っていた掃除婦は不思議に思い、
迎えに行かないのですか?
と男に尋ねた。
いつ違う猫がやってくるかもわからない。
そんなところにいるよりも、外の世界の方がいいだろう。
自由に空を飛べるのだから、猫なんか敵にもならないさ。
男はそう答えた。
掃除婦はなんだか納得がいかず、
男が留守の間に男の部屋に忍び込み、
机の引き出しから鳥かごの鍵を盗み出しました。
男はあのようにいったけれど、
毎日時間があればこの鍵を見ている男を見ていた掃除婦は、
あの言葉が本心だとは思えなかったのです。
掃除婦は小鳥の住む森へ向かうと、
大きな声で言いました。
「小鳥さん、小鳥さん、ここに鍵がありますよ。」
そこまで言うと彼女はハンカチに包まれた鍵をバッグから取り出し、
そっと机の上に置いた。
白いテーブルクロスの上の金色の小さな鍵は、
少しくすんで見えた。
「使いたいなら、お使いなさい。いらないならば、お捨てなさい。」
彼女は童話の中の口調のまま、少年に向ってそう言った。
少年はというと、鍵と彼女の鍵を交互に見つめ、
そのまま押し黙ってしまった。
「この話、どういう結末になるのかしら?」
彼女は穏やかに言った。
少し伏せた目元に、蜂蜜色の睫毛が揺れた。
少年はバターが完全に溶け切って、
メイプルシロップがしみ込んだ目の前のパンケーキを見つめていた。
「帰ってきてほしくないと男が思っているって、小鳥が知っていたら?」
暫くの沈黙の後、少年はそう言った。
彼の隣に座る弟は、窓の外から見える通りを眺めている。
視線を合わせようとせず、目の前の皿を見つめたままの少年の質問に、
彼女は少し驚いたように答える。
「帰ってくるなって、男は言ってたかしら?」
少年は反論しない。
どうやら彼女は正しいようだ。
けれど、そう思ってしまっても仕方がない、と彼女は思う。
今は何を信じていいかわからないのだろう。
「小鳥はその後、どうするのかな?」
少年は初めて彼女の瞳を見て、そう言った。
困ったという言葉を瞳にのせて、彼は彼女を見た。
彼女は言った。
自分が小鳥なら。
「私が小鳥なら、男の部屋の窓際で待つ。」
「何を待つ?」
「中に入れてくれるのか、それとも追い払われるのか。」
その行動ひとつで、全てがわかるでしょう?
彼女はカップに残っていた紅茶を優雅な仕草で飲み干すと、
小さく手を挙げてウェイターを呼び、
会計を済ませた。
「掃除婦は鍵を小鳥の傍に置いて、去って行きました。」
座ったままの兄弟に頬笑みを残して、
彼女は立ちあがった。
彼女が羽織った白いコートから、
さわやかな柑橘系の香りがした。
「またね、エドワード君。アルフォンス君。」
柔らかく手を振って、彼女は去って行った。
残された兄弟の前には、パンケーキと金色の鍵。
どうする?
そう尋ねようと弟が兄の方を向いた時には既に、
金色の鍵は兄の手の中にあった。
この結末がどうなるかはわからない。
けれど彼が言うべき一言はただ一つだった。
「いってらっしゃい。」
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*二周年祭
© 2012 Nami NAKASE