中尉の話を聞いてからすぐに、
俺は一人中央に戻った。
なるべく目立たないように黒いコートを羽織って、
フードも被って、大佐の家に向かった。
久しぶりに通る道は、なにも変わっていなかった。
ただ少し、季節が変わって、
春の風が緑を揺らしていた。
少し日が傾いた空を眺めながら、
そっと開けて入った玄関の前に座り込んで、
俺は空がオレンジ色になるのを待った。
ポケットに突っこんだままの左手に握られた鍵は、
いつの間にか俺の体温がうつって、あたたかくなっていた。
何もせずに、ただこうして座って待っているだけなのに、
空が暖色に染まっていくにつれて、
緊張は増していった。
オレンジと藍色が空を割る頃、
目の前の門が小さな音を立てた。
反射的に門の方に視線を向けると、
そこには待っていた姿があった。
俺は何か言おうと立ち上がった。
息を吸って、言葉を探したけれど、
無表情のその顔に、何も言えなかった。
何も言わない瞳を見ているのが辛くて、
視線を逸らそうとした時、大佐の唇が動いた。
カギ ハ モッテイル?
空気を震わせない、唇だけの言葉だった。
ゆっくりとした唇の動きから俺は文章を読み取り、
そして小さく首を僅かに下に動かした。
クラクナッテカラ モドッテキテクレ
俺はもう一度小さく頷いた。
それと同時に大佐が鋭い口調で一言低く言った。
「帰ってくれないか?」
一瞬何が起きたかわからなかったが、
すぐに状況を理解して、何も言わずに大佐の横をすり抜けた。
その間際、ほんの一瞬、
その唇が優しい孤を描いた。
幻覚なのか、本当なのか、
確かめたい衝動から振り向きそうになったが、
それを抑えて門を急いで出た。
さっき通った道を戻りながら、
思わず笑みを漏らしてしまいそうで、
俺は右手で口元を覆い、フードで顔が隠れるようにして歩いた。
小鳥は自分で鍵を開けて、鳥かごに帰るんだ。
今日だけ早く沈んでください。
小声で理不尽なお願いを口にした。
太陽はオレンジの光を揺らしながら、
ゆっくりと消えていった。
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*二周年祭
© 2012 Nami NAKASE