いつも、このドアをノックする時はドキドキする。

けれど、今日のドキドキはいつもと違う。

少年はその理由を探した。

それはイレギュラーな状況、この扉を開く目的でしかないとわかっているのに。





少年は一度肺を空気で満たすと、

一拍置いて全てを吐き出した。

状況判断を止めようとしない思考回路も一緒に。





コンコン





自分の手の甲がつくった乾いた音と共に、

いつものように返事を待たずにドアノブをまわした。







やあ、鋼の。







扉を開けてすぐにするその声を、今日は聞くことができなかった。

そこにあるのは、男の柔らかい微笑み。

そのまたしてもイレギュラーな状況に、少年は身構えた。



何かがある。

いつもはない、何かが。



少年は後ろ手に扉を閉めた。





密度の高い沈黙がそこにあった。

その沈黙を前に、言葉を発するのは難しかった。

それでも少年は、その沈黙に言葉をのせた。







「渡したいものって、なに?」







男は机の上で組んでいた手を滑らかな動作で解くと、

右側の引き出しから何かを取り出した。

それは男の右手に包み込まれて、少年からは何なのかはわからない。

男は急ぐわけでもなく、かといってゆっくりでもなく、

ごく自然に少年の前へ来ると、右手を少年の目の高さに持ってきた。

少年は執務室に入ってきて後ろ手に扉を閉めた時の状態のまま、

近づいて来た男を見つめ、その右手に視線をやった。







「これ。」







男が右の掌を開くと、そこには親指と人差し指につままれた

少しくすんだ、金色の鍵。







「いつでも、好きな時に帰っておいで。」







少年は男の持つ鍵をしばらく見つめた後、

少し困ったような瞳で男の顔を見た。

一方、男は柔らかい微笑みを崩さない。

少年が困っている理由を知っているにも関わらず。







「でも、アルが。」







「駅前の宿に、いつも一部屋空けておくように頼んである。」







最後まで言い終わる前に男がその答えを出したことに、

少年は一瞬驚いた。

けれど、少年はすぐに思い直した。

この男ならば、と。







「職権乱用。」







少年は楽しそうな瞳で、白い歯を見せて笑った。

男もつられて目を細めると、当然というように言った。







「今使わないで、いつ使うんだ?」







その返答に少年は声を立てて笑う。

そんな少年を見て、男は思う。

愛しい、と。







「受け取ってくれるね?」







男は右手を軽く振って、少年の注意を鍵へ向けた。

問いかけるまでもない、受け取ってくれるはずだ。

と信じていながらも問いかけてしまうのは、

まだどこかで不安なのか、

それとも確固たる確証が欲しいのか。







「仕方ねぇな。」







少年は左手でそれを毟り取るようにして取ると、

そのままコートのポケットに入れた。

用はこれだけか?なら帰るぞ。

なんてぶっきらぼうに言う少年に、男は言った。







「失くすなよ。」







失くしてやるよ。



そう、照れ隠しの為の憎まれ口が返ってくると思いながらした問いかけに、

すぐ返ってきた答えは予想外だった。







「失くさねぇよ。」







そう言った自分に驚いたのか、少年は少し頬を赤らめると、

急いでドアノブをまわし逃げるように出て行った。



そんな少年を見て、男は思う。

愛しい、と。







あの鍵を使って、会いに来てくれる日はいつになるだろうか。

男はその日を、楽しみに待っている。











2011.03.27




*Roy+Edward




© 2011 Nami NAKASE