なんとなく見当はついている。
いや、そうであって欲しいという希望なのかもしれない。
それでもいい、聞いてみようと思う。
問題は、どう切り出すべきかだ。
火傷
1月の新年の慌ただしさが過ぎた後は、お菓子業界の稼ぎ時がやってくる。
街中がその日に向かって動き出し、人々はその日を待ち焦がれる。
選べないほど多い種類のチョコレート、どれも可愛らしいラッピング、
チョコレートを湯煎して型に流し込むだけという簡単なものから、
職人が作ったような手の込んだチョコレートの作り方まで、
様々なチョコレートのレシピの本まで飛ぶように売れてゆく。
抑えられない緊張と期待、普段は言えない事も、この日は不思議と勇気が持てる。
恋人たちの、そしてこれから恋人になるだろう人々の為の一日、バレンタインデー。
それは今年も滞りなくやってきた。
ただ、そんなバレンタインデーの雰囲気とはかけ離れた、どこか事務的な空気に包まれてしまうのは、
ここにあるチョコレートたちの運命だったとしか言いようがない。
何せ軍部の佐官、それもかの有名な国家錬金術師宛てなのだから。
チョコレートと見せかけて爆弾だった、毒物を入れたチョコレートだった、など考えられる可能性はいくらでもあり、
そう簡単に本人の元に届けるわけにはいかないのだ。
「なんで毎年俺らがやらなきゃいけないんすか。」
「勝手にくすねられては困るんでね。」
本来ならばもっと下級の者にやらせればいい仕事だろうに、
当の贈られた本人は自分の目の届くところで作業をして欲しいらしい。
あんたの近くでやったら意味ないだろう、くすねられたぐらいが丁度いい量なんじゃ、
など不満は山ほどあるだろうがそれぞれが黙々と作業を続けた。
次々と開けられる包みと部屋に広がる甘い香りは、時間とともに増えていった。
どこの誰とも知らない彼のファンからの贈り物は、残念ながら安全性が低いので彼の元には届かない。
差出人が彼の知り合いであるならばメッセージを確認した上で彼の元へと届けられる。
その気の遠くなる作業に深いため息ばかりが響いていた。
「大佐ぁ、今年も届いてますよ。」
開けられた包みの残骸とチョコレートの箱に埋まりつつあるハボックが、右腕を突き出して言った。
その右の掌には小さな黒い包みがちょこんと乗っていた。
一同は顔をあげて、またすぐに包みとにらめっこを始めた。
ただ一人だけ、そっとその包みをとって自分の執務室へ入って行った。
それはもうおなじみの光景になっていた。
ここ数年届けられる黒い包み。宛名もなく差出人も書いていない。
つまり誰かが直接司令部へ来て、彼宛てのチョコレートの山に紛れ込ませたということだ。
その不審な包みの中にはメッセージも何もなく、小さな四角いチョコレートが入っているだけだった。
それは市販のものではなさそうで、少し形が崩れているあたりから、手作りであることには間違いなかった。
あからさまに怪しいそれを見つけたハボックは、最初の年は彼には報告しなかった。
しかしその翌年、その怪しい包みを再び見つけた。
数え切れない包みの中でもそれを覚えていたのは、どこか印象的だったからだろう。
想いを伝える日に、真っ黒な包みで四角いチョコレートねぇ。
その報告を受けた彼は大した反応もせず、処分しろ、とだけ言った。
彼の眼にもやはり怪しく映ったのだろう。
しかし驚いたのは、その次の日に彼が血相を変えて、あの黒い包みはどこだ、と叫んだことだった。
毎年チョコレートだけで当分生きていけるだけの量を貰う彼が、
ただ一つのチョコレートに執着したのは初めてだった。
そしてもっと驚いたのは、処分したと聞いた彼の落胆した表情だった。
それはこの中の誰の記憶にも鮮明に残っているだろう。
その翌年に届いた例の黒い包みを見つけたフュリーは、処分にまわさず彼へと届けた。
差出人をご存じなんですか。
そう聞こうとしたフュリーの一呼吸の間に、彼は包みを開けて中のチョコレートを口に放り込んでいた。
それを見た一同の空気が瞬時に凍りつく。
「なっ!そんな怪しいの食っちゃまずいんじゃ!」
「いや、大丈夫だ。」
周りの心配をよそに彼は満足そうに執務室へ戻って行った。
部屋の空気は溶けきってはいなかったが、
一人何事もなかったかのように作業を続ける彼女に気付かないほどの余裕がなかったわけではなかった。
「中尉、大佐は差出人を知ってるんすか?」
ホークアイは包みを開ける手を休め、少し困ったように微笑んだ。
それはまるで、子供の隠し事を気付いていない振りをする母のような表情だった。
「だいたいの見当は付いているみたいね。」
最初の黒い包みから、これで何個目になるだろうか。
今年届いた包みを、彼はまだ開けていない。
これ以上相手が近づいてくる気配を感じ取れない以上、こちらから動くしかない、と彼は決心した。
そして今日が、その行動の日となる。
かの少年の居所を、だいたいは掴むようにしてきた。
定期的に連絡はさせるようにしていたし、もちろん報告書も提出させるようにしてきた。
嫌々ながら、しかも遅れがちながらも彼は連絡してきた。
報告書も字の上手下手は抜きにすれば、きちんと出してきた。
それが、この時期は必ず避けてくるのに気付いた時から、淡い期待がいつもそこにあった。
そして、それを後押しするような目撃情報が入ってきたのが数年前。
いつもの赤いコートではなく黒いコートを羽織って軍部にいたのを、受付の者が見ていた。
しかも声をかけたが慌てた様に走って行ってしまったとなれば、彼らしからぬ行動だ。
ここに立ち寄りながらも顔を出さずにそそくさと、しかも他人に見られないようにいなくなる。
いつしか期待の色は濃くなっていた。
それでもまだ、決定的な何かが足りなくて、突き詰めることができなかった。
百戦錬磨も、相手の行動を窺って動けないなんて、まるで初めて恋をする少年のようだ。
それでも彼は、引き下がろうだなんて事は少しも思っていなかった。
ただ、今近づいてくる足音にどう切り出すか、それが問題だ。
「ちわー。」
元気良く入ってきた金色の猫に、ノックぐらいしたまえ、と呆れたように呟いた。
どうやらいつもどおりに振舞う方向で行くらしい。
「うるさいな。」
上官に不満を隠そうとしない声と表情で答える少年の手には、紙の束が握られていた。
大股で彼の元へと近づくと、それを思い切り机の上に叩きつけた。
「何、突然3日以内に報告書出しに来いとか。こっちだって忙しいんだよ!」
「そもそも報告書とは期間内にきちんと出すものなのだよ。」
まだ期日まで時間あるだろ!という不平を聞き流し、彼は報告書に目を通す振りをした。
内容は頭にてんで入ってこない。
彼の頭の中にあるのは、
いつどのタイミングでどうやって。
それしかなかった。
だから気づくのが遅れてしまった。
彼の視線が机の上の黒い包みに注がれていたのに。
「これ?」
人差し指で黒い包みを指さしながら、彼は少年に問うた。
少年は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまた不機嫌な顔に戻った。
別に。そうぶっきらぼうに言って、ソファに乱暴に座った。
なんて幸運だ。ここから始めようか。
「この黒い包み、毎年送られてくるんだ。」
彼から少年の表情は見えない。
そっぽを向かれてしまっているから、読みたくても読めない。
それでも彼は少し空気が変わるのを感じて続けた。
「差出人が書いてないし、メッセージもないから誰からなんだかわからないのだけどね。」
「怪しくね?」
その答えに思わず彼は笑ってしまった。
まさか彼からそんな返答が来るとは、不意打ちだった。
その反応に少年はさらに機嫌を悪くしたようで、纏う空気に棘が増した。
それに気を良くした彼は、気付いていないふりをして続ける。
「でもね、とても優しい味がするんだ。このチョコレート。」
「チョコレートに優しいも何もないだろ。てか仕事しろよ!読め!」
吠えるように彼を左手で指さした少年は、今すぐに帰りたいというオーラで満ち溢れていた。
それを見た彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに深い微笑みを口元に浮かべた。
報告書なんて、少年を呼び出すための手段であって、内容は正直どうでもいい。
彼の頭の中にあるのは、手作りチョコレートの作り方の手順だった。
型に流し込むだけなら、チョコレートブロックを細かく刻んで、湯煎して型に流し込んで冷やす。
彼は軽く両手を広げていった。
「もう読み終わったよ。」
「早く言えよ!」
今にも噛み付いてきそうな少年に、彼は微笑みを絶やさなかった。
それがさらに少年の苛立ちを煽った。
問題ないならもう行く、と眉間に皺をよせた少年を、彼はいつも通りお茶に誘う。
「野郎と茶ぁ飲んで何が楽しいって何回言えばわかるんだ!」
少年は吠えると、逃げるようにドアの方へ歩いて行った。
彼はもう、喜びを隠そうとはしなかった。
穏やかな深い微笑みは、確信を得たからこそのものだった。
ドアノブに手をかける少年の背に彼は声をかける。
「鋼の、その左手の火傷はどうしたんだい?」
Jetzt fangen wir mal an, mein Schatz.
2010.02.14
*Roy+Edward
© 2010 Nami NAKASE